家族の意見を全く聞かない一方通行の会話しかできないASD父にガッカリ
8月、家で雨漏りが発生!
父「ここが原因だな。コーキングで埋めるわ」
私「前にも埋めたところでしょ? 同じ場所を埋めてもダメだと思うよ。屋上に水が溜まっている箇所があるから、そこから家の中に染み込んでいるんじゃない? だから雨が降り始めてから数日経って、水が垂れてくるんだと思う」
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父は私の話を聞かず、以前と同じ箇所をコーキングで埋める。
その後、自分がどこをどのように埋めたのか、何度も得意げに説明してくる。
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私「やっぱり同じところを埋めてもダメなんじゃない? 水が溜まっている場所があるんだから、まずはその原因を調べないと」

(明らかに怪しい箇所)
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母「水が溜まっているところは大丈夫なのかしら?」
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父「それは関係ない! 俺が一番、家のことを分かっているんだ!」
父は自分の判断が正しいと主張し、家族の意見を聞き入れようとしない。
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翌日、雨が降る。
父「ほら見ろ! 完璧だ! 万歳しちゃったぜ!」
私「今までの雨漏りは、3日以上雨が続いてから発生していたでしょ? まだ安心できないよ」
父「いや、完璧だ! やったぜ!」
雨が降り始めたばかりで、まだ修理の効果を判断できる段階ではない。
それなのに、父は自分が補修した場所から水が漏れてこないことだけを見て、早くも修理が成功したと決めつけてしまった。
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9月、案の定、雨漏りが再発!
雨が続いた結果、再び雨漏りが発生した。
父「えー、なんでだろう? あんなに埋めたのに!」
今度は、自分がどれだけ念入りにコーキングしたのか、なぜ雨漏りが止まらなかったのかという話を、家族に何度も繰り返す。
しかし、以前から私が指摘していた水溜まりについては、相変わらず原因として考えようとしない。
あれだけ「完璧だ!」と喜んでいたのに、雨漏りが再発した途端、「なんでだろう?」と落ち込むのである。
人の話を聞かず、自分の判断だけで結論を出す父
このように、父は家族の話を聞かず、自分の考えだけで物事を判断してしまう。
今回の雨漏りでも、私は最初から屋上の水溜まりを指摘していた。
雨が降り始めてすぐには漏れず、数日経ってから雨漏りが発生するのだから、どこかに水が溜まり、時間をかけて建物内部へ浸入している可能性がある。
もちろん、実際の浸水経路は調べなければ分からない。
だからこそ、私は水が溜まっている場所を含めて、原因を確認する必要があると考えていた。
それなのに、父は明らかに水が溜まっている場所を見ても、
「これは関係ない!」
と決めつけてしまう。
そして、
「俺が一番、家のことを分かっている!」
と、自分の判断を押し通す。
何より腹が立つのは、原因を一緒に考えようとせず、家族の説明を最初から退けてしまうことだ。
「この水はどこから入ってくるんだろう?」
「水が溜まってから、何時間くらいで下に漏れるんだろう?」
「以前と同じ場所を埋めるだけで、本当に大丈夫なのか?」
雨漏りの原因を調べようとするなら、こうした疑問が出てきてもおかしくない。
私はずっと、雨が降り始めてから数日経って雨漏りが発生するという時間差に注目していた。
しかし、父はその話を聞こうとしない。
自分の考えと違う意見を伝えても、「俺のほうが分かる」の一言で終わらせてしまう。
常に上から目線、家族は奴隷
これは雨漏りに限った話ではない。
昔から父は、自分が正しいと思ったことを一方的に押し通し、家族が何を説明しても耳を傾けようとしない。
自分で判断し、自分で成功したと決めつけ、うまくいかなければ今度は家族に不満を繰り返す。
そのたびに、こちらは同じ説明を何度もしなければならない。
しかも、せっかく説明しても聞き入れてもらえないのだから、話し合いにすらならない。
今回だって、雨漏りが直らなかったこと自体は仕方がないと思う。
原因を調べて補修しても、一度で直らないことはあるだろう。
しかし、家族が何度も指摘していることを無視し、十分に確認しないまま「完璧だ!」と成功宣言しておいて、再発したら「なんでだろう?」と騒がれても、こちらは腹が立つだけである。
修理が失敗したこと以上に、何度も伝えてきた話を聞いてもらえず、同じことを繰り返されるのが本当にしんどい。
父にとっては、今回の雨漏りも一つの失敗にすぎないのかもしれない。
しかし、私にとっては、何十年も続いてきた一方通行のコミュニケーションを、また繰り返された出来事なのである。
話を聞け糞野郎!
雨漏りを直したいのは、私だって同じだ。
ただ、せめて人の話を聞いて、一緒に原因を考えてほしい。
それだけのことができないから、家の問題が起きるたびに、私は怒りだけでなく、深い疲労感と無力感に襲われる。
雨漏りそのものよりも、人の話を聞かない父との生活のほうが、よほど私を消耗させているのである。
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