バカな尊大型ASD男のアホなルーティンで部屋がドブ臭い
2026年10月22日(木)
朝からまた、糞ジジイが動き回っている。
私の父親には、昔から何十年も繰り返している迷惑なルーティンがある。それは、家中の窓やドアを片っ端から少しずつ開けて回ることだ。
リビング、台所、寝室。ここまでは換気という意味で百歩譲って理解できなくもない。
しかし、父親の場合はそれだけでは終わらない。
風呂の窓、浴室のドア、脱衣所、トイレのドアまで、あらゆる場所を10〜30cmほど開けて回るのである。
しかも、全部を大きく開けるのではない。わざわざ少しずつ開けておくのが父親の定番なのだ。
父親は昔から、こうして家中の窓やドアを少しずつ開けておくことが、まるで「カッコいいこと」「気の利いたこと」であるかのように振る舞っている。
自分では家の空気をうまく循環させているつもりなのだろうか。
だが、実際には迷惑以外の何物でもない。
窓を開けるたびに階下の私たちの部屋がドブ臭くなる
何より腹立たしいのは、父親が窓やドアを開けることで、階下に住んでいる私たちの部屋にまで悪臭が流れ込んでくることだ。
両親は上の階に住んでおり、私たちはその下で生活している。
浴室や脱衣所、トイレなどのドアを開けっ放しにされると、不快な臭いが家中に広がる。
特に脱衣所には洗濯機があり、排水口周辺から漂ってくるようなドブ臭さが、私たちの生活空間にまで入り込んでくるのである。
それだけではない。
父親の部屋にこもっている、あの独特の息の臭さまで階下に流れてくるのだ。
父親の部屋には、口臭を思わせる不快な臭いが漂っている。それが窓やドアを開けることで家の中に広がり、私たちの部屋にまで流れ込んでくる。
排水口のドブ臭さに加えて、父親の部屋から漂ってくる息のような臭い。
まったく冗談ではない。
なぜ自分の部屋にいるだけなのに、こんな臭いを我慢しなければならないのか。
こちらは何もしていない。ただ自分たちの生活空間で、普通に過ごしたいだけなのである。
ところが父親は、自分が気持ちよく窓を開けることしか考えていない。
しかも、エアコンを使用しているときでさえ平然と窓を開けている。
冷暖房の効率が悪くなることも、電気代が無駄になることもお構いなしだ。
ただ、昔から自分がやってきたことを、何の疑問も持たずに繰り返しているのである。
「臭い」と訴えても「こちらは吸っている側だ」と意味不明な反論
さらに腹立たしいのは、父親に悪臭のことを指摘しても、こちらの気持ちをまったく理解しようとしないことだ。
私たちが「臭いが下まで来ている」と訴えても、父親は決まって意味不明な理屈を持ち出してくる。
私「臭い。下の部屋まで臭いが来ている」
父「そんなはずはない。下には行かない」
私「実際に臭いが来ているんだよ」
父「こちらは吸っている側だ」
……は?
「こちらは吸っている側だ」って、一体何を言っているのだろうか。
自分のいる場所は空気を吸い込んでいる側だから、臭いが下の階に流れるはずはない、とでも言いたいのだろうか。
そもそも、家の中の空気の流れは、窓やドアの開け方、風向き、温度差などによって変わる。
父親が「こちらは吸っている側だ」と言い張ったところで、臭いが下に流れないという証明にはならない。
何より、こちらは実際に臭いを感じて困っているのである。
それなのに父親は、自分の頭の中で作り上げた理屈のほうを、家族が実際に感じている不快感より優先する。
「そんなはずはない」
「下には行かない」
「こちらは吸っている側だ」
だから何だというのか。
こちらが臭いと言っているのだから、まずは窓やドアを閉めて、臭いが改善するか確認すればいいだけの話だ。
ところが、そんな簡単なことすらしようとしない。
父親の頭の中では、自分の考えが正解なのだろう。だから家族が何を言っても、自分の行動を改める必要はないと考えている。
そして、いつも話は平行線のまま終わる。
臭いの被害を受けている私たちが、なぜ父親に「臭いが届いていること」まで証明しなければならないのか。
本当に馬鹿馬鹿しい。
今朝も「窓は開けていない」と平然と嘘をつく父親
さて、今日の話に戻ろう。
今朝は風が非常に強かった。
そこで、偶然顔を合わせた父親に注意した。
私「窓を開けないで。風がすごいから」
父「開けていない」
私「開けてるよ。いつも開けてるじゃん」
父「開けていない」
また始まった。
父親は、自分の行動を指摘されると、平然と否定することがある。
開けているかどうかなど、見ればすぐに分かることである。それなのに、なぜ堂々と「開けていない」と言い張るのか。
そこで私は、父親に気づかれないように、こっそり上の階を確認しに行った。
すると、どうだろう。
案の定、先ほど挙げた場所が全部開いていたのである。
リビングも、台所も、寝室も、浴室も、脱衣所も、トイレも。
まさに、いつものフルコースだ。
何が「開けていない」だ。
ふざけるな。
こちらは、ただ風が強いから窓を閉めてほしいと言っただけなのだ。
そんな当たり前のお願いに対して、なぜ嘘までついて自分の行動を正当化しようとするのか。
自分が開けていないつもりなのか、それとも注意されたくないから嘘をついているのか。
どちらにしても迷惑な話である。
実際に全部開いていたという事実は変わらない。
私が全部閉めても、父親がまた全部開けてしまう
そして、ここからがさらに腹立たしい。
私が我慢できなくなって、開いている窓やドアを全部閉めても、しばらくするとまた元通りになっているのである。
せっかく閉めたのに、また開いている。
どういうことだ。
こちらは好きで父親の部屋まで行って、窓やドアを閉めて回っているわけではない。
悪臭が流れ込んでくるから、仕方なく閉めているのだ。
それなのに、父親は何事もなかったかのように、また自分のルーティンを始めてしまう。
窓を開ける。
私が閉める。
父親がまた開ける。
私がもう一度閉める。
そして、気がつけばまた開いている。
何十年も、この馬鹿げたいたちごっこを繰り返しているのだ。
本当にいい加減にしてほしい。
そもそも、私が閉めたということは、開けておいてほしくないという意思表示でもある。
普通なら、なぜ閉められたのか少しは考えるだろう。
しかし、父親にはそんなことは関係ないらしい。
自分が開けたいから開ける。
閉まっていたら、また開ける。
そこには、階下で暮らしている家族への配慮など微塵も感じられない。
何度注意しても、何度閉めても、こちらの意思を無視して同じことを繰り返される。
これが本当に腹立たしい。
しかも、こちらは父親の後始末をするために生活しているわけではない。
わざわざ上の階まで行き、開けられた窓やドアを閉めて回る。
そんな無駄なことに時間を使わされ、戻ってみればまた開いている。
これでは、いくら私が頑張っても終わらない。
自分の生活環境を守ろうとしているだけなのに、父親の頑固なルーティンによって何度でも振り出しに戻されてしまう。
本当にむなしくなる。
いつまで私がこんな馬鹿げたことをしなければならないのか。
そして何より腹立たしいのは、父親自身がこの繰り返しを何とも思っていないことである。
本人は、いつも通りに窓を開けているだけなのだろう。
しかし、その「いつも通り」が、私にとっては何十年も続く苦痛なのである。
尊大型ASDの父親が何十年も繰り返すアホなルーティン
父親のこうした行動は、昨日今日始まったものではない。
もう何十年も続いている。
尊大型ASDの父親は、自分が正しいと思い込んだ行動を、周囲から何度指摘されてもなかなか改めようとしない頑固さがある。
これは父親個人の長年の振る舞いについての話だが、私にとっては、まさに父親の尊大型ASDの特徴を強く感じる場面でもある。
本人にとっては、長年続けてきた自分なりの正しい習慣なのだろう。
しかし、自分が正しいと思っていることと、実際に正しいことは全く別である。
そして、家族が迷惑しているという現実を認めようとしない。
臭いと言えば「そんなはずはない」。
窓を閉めてほしいと言えば「開けていない」。
こちらが全部閉めれば、また開ける。
これでは話し合いにもならない。
さらに呆れるのは、これほど家中の窓やドアには執着するくせに、電気の消し忘れやドアの鍵の閉め忘れはしょっちゅうあることだ。
そこまで家中の状態を気にして歩き回るのなら、電気や鍵の確認こそきちんとやってほしい。
ところが、肝心なことは抜け落ちている。
どうでもいい窓の開け方には異常なほどこだわり、生活上の大切な確認はおろそかにする。
何とも馬鹿げた話である。
自分が迷惑をかけているという自覚がまるでない
父親の最大の問題は、窓を開けること自体ではない。
自分の行動によって家族が迷惑しているという事実を、何度説明しても受け入れようとしないことだ。
普通なら、家族から「臭いが下まで来ている」と言われれば、少なくとも気にするだろう。
臭いが本当に流れているのか、どこから来ているのか、何か改善できる方法はないか。
そう考えるのが自然だと思う。
しかし、父親の場合は違う。
まず否定する。
そして、自分の考えが正しいという前提で話を進める。
父親は、自分の部屋で自分の習慣を続けているだけだから、何も困っていないのだろう。
しかし、こちらは毎日のようにその影響を受けている。
本人が不快に感じていないからといって、他人まで不快に感じていないことにはならない。
それがどうして分からないのか。
こちらが窓を閉めた理由さえ考えず、再び開けてしまうのも、結局は同じことなのだと思う。
父親の中には「自分の習慣を変えてまで、家族の不快感を取り除こう」という発想がないのではないか。
少なくとも、長年の行動を見ている限り、私にはそう感じられる。
何十年も繰り返されるカサンドラの苦しみ
こんなことを一度や二度されたくらいで、ここまで怒るわけではない。
問題は、何十年も同じことを繰り返され、そのたびにこちらが我慢させられてきたことだ。
今日のように風が強い朝でさえ、父親はお決まりのルーティンを実行する。
注意すれば「開けていない」と嘘をつく。
臭いを指摘すれば「こちらは吸っている側だ」と意味不明な反論をする。
私が全部閉めても、また開ける。
そして、結局は何も変わらない。
父親にとっては、いつもと変わらない朝なのだろう。
自分の習慣を守ることには熱心なのに、家族の生活を守ることには無関心。
この矛盾が、私は本当に許せない。
何よりつらいのは、何十年も同じことを言い続けているのに、まったく改善しないことである。
怒っても変わらない。
説明しても変わらない。
まるで、こちらが何をしても無駄だと言われているような気分になる。
父親が自分のルーティンを一度実行するたびに、こちらの時間と気力が削られていく。
これこそが、長年積み重なってきた私の怒りと疲労の正体なのだと思う。
コメント
何が一番腹立たしいって、毎日毎日、人の生活を邪魔しておきながら、本人には迷惑をかけている自覚がないことなんだよな。
ASDに苦しめられている人って何人いるんだろうな