尊大型アスペルガーの父に振り回される家族|私が長年見てきた性格と行動の特徴
父と暮らしていると、いつも思うことがある。「どうして、この人の思いつきに家族全員が付き合わなければならないのだろう」と。
父にはASD(自閉スペクトラム症)の診断がある。私は、父の尊大な態度や家族への接し方を、これまで「尊大型アスペルガー」と表現してきた。ただし、ここに書くのはASDの人全般の特徴ではない。私が長年一緒に暮らしてきた、父という一人の人間の話だ。
父は、自分が思いついたことをすぐに口にする。自分の考えを正しいものとして話し、家族が違う意見を出しても、なかなか受け入れない。そして、何かをやりたいと言い始めると、結局は家族が動くことになる。
一つひとつの出来事だけを聞けば、たいしたことがないように思われるかもしれない。だが、これが毎日、何十年も続いたらどうだろう。私が父と暮らしていて感じてきた性格や行動の特徴を、具体的な出来事とともに書き残しておきたい。
1.自分の思いつきを、家族が実行するものだと思っている
父は、自分がやりたいことを突然口にする。例えば、日曜日の朝に「今日は歩いて西友に行って、帰りにスシローに行くのもいいよなぁ」と言う。普通に聞けば、何気ない提案だろう。しかし、我が家ではそう簡単な話ではない。
父が何かを言い出したとき、家族は「ただの独り言だろう」と安心して聞き流せない。父の希望に沿わなければ、不機嫌になったり、こちらが悪いかのように言われたりすることがあるからだ。こちらには、その日にやりたいことがある。仕事もあれば、休みたい日もある。
それでも、父の頭の中で予定が決まってしまうと、家族までその予定に組み込まれていく。父にとっては思いつきを口にしただけでも、家族にとっては一日の予定を左右する発言になる。この感覚の違いが、まず疲れる。
2.はっきり頼まず、家族が動くようにほのめかす
父は、やってほしいことを必ずしも明確に頼むわけではない。「そろそろテナントのエアコンフィルターを掃除しないとなぁ」といった言い方をする。「掃除を手伝ってほしいけれど、時間はあるか」と尋ねるのではなく、ただ、やるべきことがあると口にする。
しかし、これまでの経験から、私はその言葉の先に何が待っているのかを考えてしまう。結局、誰が掃除するのか。必要なものを用意するのは誰か。父が作業を始めたら、また呼ばれるのではないか。まだ何も始まっていない段階で、こちらはもう落ち着かない。
父の言葉を聞いた瞬間に、家族の側で段取りを考え始めてしまうのだ。やりたいことがあるなら、まず自分で計画し、手伝いが必要なら相手の都合を確認してほしい。私が望んでいるのは、それだけのことだ。
3.家族にもそれぞれの予定があることを考えてほしい
父が何かを始めるたびに、私の時間が削られる。私にも仕事があり、ブログがあり、筋トレがあり、休日には自分の好きなことをして過ごしたい。ところが、父からすれば「今、これをやろうと思った」という話なのかもしれないが、こちらにとっては突然予定を変えられる出来事になる。
しかも、作業そのものが終われば、すべて解決するわけではない。納得できないまま付き合った日は、その後も怒りが残る。せっかく時間が空いても、気持ちを切り替えられない。
父が使ったのは一時間でも、私の休日は一日中台無しになってしまうことがある。この苦しさは、作業にかかった時間だけでは測れない。

4.自分はよく話すのに、相手の話は聞いていない
父は朝からよく話す。テレビに納豆が映れば、「そういえばこの間、テレビで納豆について何かやっていたなぁ」と言う。そこで話が終わることもある。何を知ったのか、何が面白かったのか。こちらが聞きたい肝心の中身はない。
一方で、父が何かを尋ねてきたので答えても、その答えを聞いていないことがある。相撲を見ていたとき、モンゴルの力士から連想したのか、子どものお尻にある青いあざの名前を尋ねてきた。私は「蒙古斑」と答えた。それでも聞いておらず、同じ話が続いた。
こちらは父の問いに答えているのに、会話が成立しない。ただ話しかけられる回数が多いだけではない。答えても届かないことが、たまらなく疲れるのだ。
5.テレビやラジオで聞いた話を、すぐ家族に披露する
父は、テレビやラジオで知ったことをよく話す。新しい知識を人に伝えること自体は、何も悪くない。問題は、聞いたばかりの一つの意見を、確かな答えのように話すことがある点だ。
私が「ほかにも考え方はあるんじゃないか」と返すと、素直に話し合いになるとは限らない。ふてくされることもある。こちらは父を否定したいわけではない。一人の解説者が話したことが、唯一の正解とは限らないと言っているだけだ。
しかし父との会話では、情報について一緒に考えるよりも、父の説明をそのまま受け止めることを求められているように感じることがある。そのたびに、会話をする気力がなくなっていく。
6.結果を急ぎ、自分の判断が正しかったことにしたがる
父の性格がよく表れたのが、屋上の雨漏りの件だった。以前、雨漏りが起きたのは、雨が何日も続いたときだった。だから私は、コーキングをしたあとも、同じように数日間雨が続かなければ、本当に直ったかどうかは判断できないと考えていた。
ところが父は、雨が降り始めた初日の段階で「今日漏れなかったら完璧だな」と言った。いや、まだ分からないだろう。以前は、降り始めてすぐに漏れたわけではない。過去に起きた状況を考えれば、確認するには時間が必要なはずだ。
それなのに、父は早く「直った」という結論を出したがる。私は成功を否定したいのではない。本当に直ってくれたら、もちろんそれが一番いい。ただ、確認が終わっていない段階で成功を繰り返し口にされると、「こちらの説明を聞いていたのだろうか」と思ってしまう。
そして、雨漏りは再発した。
7.別の可能性を指摘しても、自分の考えを変えようとしない
雨漏りの件では、私は屋上に水がたまっていることも気にしていた。同じ場所を埋め直すだけで、本当に解決するのか。水がどこを通っているのか、ほかに原因がないのか。そうしたことを考える必要があると思っていた。
もちろん、専門的な調査をしなければ、雨漏りの原因を断定することはできない。だからこそ、過去の経過や家族の指摘も含めて、一つずつ確認してほしかった。しかし父は、自分が気にしている場所をコーキングすることにこだわった。
その後、再び雨漏りが起きると、「あんなに埋めたのになんでだろう?」と話す。その言葉を聞きながら、私は何度も伝えたことを思い出していた。人の意見を聞かずに進めた結果、問題が解決せず、また家族が作業に付き合う。これが何よりやりきれない。
8.自分が始めた作業の負担が、家族に回ってくる
2026年9月22日も、父の用事に振り回された。父に言われて受水槽の上で排水を確認したが、疑われていた詰まりは確認できず、水は流れていた。さらにコーキング作業にも関わることになり、その作業で大切にしていたズボンが汚れてしまった。
自分がやりたくて始めた作業ではない。それなのに時間を使い、身体を動かし、最後には気に入っていた服まで台無しになる。そのあとも、コーキングの買い出しや、お金を下ろす用事まで頼まれる話が出た。(シルバーウイークは全て父の奴隷として動いた)
父の中では、一つひとつが必要な用事なのかもしれない。だが、こちらからすれば、朝から続く「次はこれ、今度はあれ」だ。いつになったら自分の時間になるのか。その気持ちを、父はどれほど分かっているのだろう。
9.自分の失敗を認めず、人のせいにする
父は、自分のミスを指摘されると、家族に原因を求めることがある。以前、税金の支払いを忘れたときには、私が作った管理表の字が汚かったせいだと言われた。
確かに、書類が見やすいことは大切だ。だから私は、文字を大きくし、支払い済みのものがひと目で分かるように表を作り直した。しかし、支払いを忘れた原因を、最初から私の字に決めつけられることには納得できなかった。
管理表を作っているのは、父を困らせるためではない。家族の用事が滞らないように手伝っているのだ。その手伝いが、何か起きたときには責められる理由になってしまう。それでは、何もしたくなくなる。
10.謝るべき場面でも、謝ってもらえた記憶がない
私は、父から家族に対する謝罪をほとんど聞いた記憶がない。何かを間違えたときや、人に迷惑をかけたとき、「悪かった」の一言があれば、受け止め方は違うと思う。
もちろん、謝ればすべて許せるわけではない。それでも、自分の言動で相手に負担をかけたと認めることには意味がある。しかし父との間では、問題が起きても、家族が対応しても、その苦労が置き去りになったまま次の話が始まることが多い。
大変だったのは何だったのか。どうして、手伝った側ばかりが嫌な気持ちを抱えなければならないのか。長年積み重なった不満は、こうした小さく見える場面からも生まれている。
11.自分に同意しない家族を、あとから悪く言う
父の話を聞き流したり、違う意見を言ったりすると、父があとで母に私の悪口を言うことがある。「あいつは話を聞かない」。そんなふうに言われる。
しかし、私にも言い分がある。父が一方的に話し続け、こちらの返事は聞いていない。こちらが何かを指摘すれば不機嫌になる。それでも、父から見れば私が悪いことになってしまう。
さらに、母を通じてその不満が伝わってくると、父と話していない時間まで気分が悪くなる。その場の会話が終わっても、問題が終わらない。だから、父と関わることそのものが負担になっていく。
12.周囲からの扱いには不満を言うのに、自分がどう接してきたかは振り返らない
父は、病院に夫婦で来ている人たちを見て、母が自分に付き添わないことに不満を言ったことがある。けれど、誰かに付き添ってほしいなら、普段からその人とどんな関係を築いているかも大切ではないだろうか。
父の言動によって、母も長年嫌な思いをしてきた。その積み重ねがあるのに、ほかの夫婦と比べて不満だけを口にされても、私は素直に共感できない。
家族だから当然そばにいてくれる。家族だから当然手伝ってくれる。そんな前提で接し続けていたら、家族の気持ちは離れていくと思う。少なくとも、私自身はそうだった。
13.家にいるだけで、また何か言われるのではないかと身構える
父の言動で最もつらいのは、一つの出来事だけではない。朝、顔を合わせれば、また何か言い出すかもしれない恐怖。今日は雨漏りの話か。明日はテナントの掃除か。次は買い出しか。まだ何も言われていないのに、身構えてしまう。
父の話を聞けば、また用事が増えるかもしれない。聞き流せば、今度は「話を聞かない」と言われるかもしれない。そのため、顔を合わせないようにすることもある。
自分の家なのに、ただ静かに過ごしたいだけなのに、なぜこんなことを考えなければならないのだろう。家とは、本来、安心して休める場所のはずだ。それが私にとっては、次に何を言われるのか警戒する場所になってしまっている。
14.一番つらいのは、父から離れても怒りが消えないこと
父に頼まれた作業が終われば、その後は自由な時間になる。本来なら、そこで好きなことを楽しめるはずだ。しかし、私の場合はそうならない。朝から理不尽だと感じることを言われると、その場を離れても頭の中で何度も思い出してしまう。
「どうしてあんなことを言われなければならないんだ」「なぜ人の話を聞かないんだ」「どうして結局、俺がやることになるんだ」。怒りが何度も戻ってくる。
筋トレをしていても、買い物をしていても、せっかくの休日を楽しもうとしていても、気持ちが晴れない。2026年のシルバーウィークもそうだった。雨漏りが再発し、屋上の確認や補修に付き合い、大切なズボンまで汚れた。翌日もまた父の用事が始まるのではないかと思うと、休みの終わりまで気が重くなる。
父と関わっている時間だけが苦痛なのではない。父と関わったことで、その後の自分の時間まで楽しめなくなる。私にとっては、これが一番深刻な問題だ。
私が欲しいのは、特別な幸せではない
私は、父と毎日言い争いたいわけではない。父の言うことをすべて否定したいわけでもない。ただ、自分の予定を自分で決めたい。
朝起きたとき、「今日は何をしようかな」と、自分のことを考えたい。筋トレをする日なら、集中して筋トレをしたい。ブログを書く日なら、余計なことで気持ちを乱されずに書きたい。何もしないと決めた休日なら、本当に何もせずに休みたい。
それだけのことが、長年の暮らしの中で難しくなってしまった。父の言動を一つずつ切り取れば、「それくらい我慢すればいい」と言う人もいるかもしれない。しかし、一度の我慢と、何十年も続く我慢は違う。
何度説明しても聞いてもらえず、父の思いつきで予定が変わり、対応したあとも怒りが残る。その繰り返しによって、私は「一人になれれば、それだけで幸せだ」と思うようになった。
誰にも振り回されず、誰の機嫌も気にせず、自分の時間を自分のために使えること。私が今、心から欲しいのは、そんな当たり前の生活なのだ。
コメント
一つひとつのエピソードが、ただの「イライラした話」じゃなくて、何十年も積み重なった結果として「自分の時間が自分のものじゃなくなる」までの過程を丁寧に書いている。特に最後の「父と関わったことで、その後の自分の時間まで楽しめなくなる」という部分が、一番刺さった。作業が終わっても頭の中で何度も再生されて、せっかくの休日が台無しになる感覚。これは本当に消耗する。尊大型と表現している通り、思いつきをすぐ家族の予定に組み込む
はっきり頼まずにほのめかして、結局家族が段取りを考える
相手の話を聞いていないのに自分はよく話す
失敗を認めず人のせいにする
謝らない
あとで悪口を言う
家にいるだけで身構える
これらが「毎日・何十年」続いている。一つだけなら「それくらい」で済むかもしれないけれど、全部が同時並行で、しかも終わったあとも怒りが残る。それが「一人になれれば、それだけで幸せだ」という境地にまで追い詰めるのは、当然の帰結だと思う。あなたが欲しいのは「特別な幸せ」じゃなくて、「自分の予定を自分で決められる当たり前の生活」。これ、普通の家庭では当たり前すぎて誰も感謝しないことなのに、ここではそれが最大の願いになる。その落差が、一番つらいところだよね。この文章自体が、すでにかなりリアルなカサンドラの声になっている。同じような状況の人が読んだら、「うちの父(または夫)もこれだ」と頷く部分がたくさんあるはず。
こんな奴ほど長生きするんだよな
毎日、きぇぇええええええええい!
ってくらい叫びたくなるよね