【犬目宿】犬目の兵助さんの行動が素敵と話題に 打ち首覚悟の訴え

Q.山梨の犬目宿(旧甲州街道沿い)について質問です。
犬目の兵助”さんの話に感動しました。
町の危機に、幕府に出向き訴えた話が気になりました。
通常は、幕府に背くと死刑だそうですが、
それを逃れて旅をして家に戻るというストーリーが刺さりました。
この”犬目の兵助”さんの生涯について、たっぷり教えてください。

犬目宿(いぬめじゅく)は、
旧甲州街道の宿場の一つで、山梨県上野原市に位置しています。

この小さな宿場は、犬目峠に近い山峡にあり、
美しい富士山を一望できる場所として知られています。
ここには「犬目の兵助」さんという義民の逸話が残っており、
彼の勇気ある行動が感動的です。

以下に「犬目の兵助」さんについて詳しく説明します。

1. *犬目の兵助(犬目兵助)の生涯*

1836年(天保7年)の大飢饉の際、
犬目兵助は立ち上がり、米を買い占めていた商人に直談判しました。
彼の行動は義民として顕彰され、看板と墓が設けられています。

その後、兵助は幕府の厳しい追求を避けるために各地に逃避行を重ね、
最終的に木更津に落ち着きました。

彼は算術指南として活躍し、晩年にはひそかに犬目に戻り、
71歳まで生きたと伝えられています。

2. *犬目宿の特徴*

犬目宿は、一つの村が宿そのものになってできたと考えられています。
1712年に現在の場所に集められ、
統一的意思により「一村一宿」の宿場として創設されました。

現在の犬目宿は、
昭和45年の大火で一部が焼失しましたが、
古い宿場町の建物の一部が残っています。

宿場から見た富士山は「犬目富士」と呼ばれ、
葛飾北斎や歌川広重も犬目峠付近から眺めた富士山を題材に描いています。

3. *犬目宿の名所*

犬目兵助の墓:
犬目宿内には、
「犬」を冠した「犬目兵助の墓」があります。

犬嶋神社:
小さな社で、犬目宿の氏子62戸が参拝しています。

宝勝寺:
甲斐88ヶ所の第6番札所で、
高さ7メートルを超える一本堀の石像や木彫りの観音が祀られています。

犬目宿は、歴史的な背景と美しい自然環境が調和した場所であり、
犬目の兵助さんの勇気ある行動は、地域の人々にとって誇りとなっています。

スポンサーリンク
スポンサーリンク