川マニアの子供に付き合う拷問散歩シリーズ
真間川(ままがわ)は、江戸川から分流し
東京湾に注ぐ利根川水系の一級河川。
全長8.5kmと散歩に程よい距離のため全部歩いてみた。
夏季に坂を上るのは苦しいので
楽な上流から河口へ向かうのが当たり前になってきた。
今回も上流(江戸川分岐点)から散歩をスタートさせた。
最寄駅は国府台
生まれてはじめて京成線に乗る。
西武新宿線と同じようなシブさを感じる。
駅名が長い印象だ。
真間川の最寄駅はこうふだいと書いて”こうのだい”(国府台)。
知らなければ読めない駅名。
京成線は京葉線や総武線より北にあり
少し”田舎っぽい”良い雰囲気がある。
ガヤガヤしていない雰囲気は個人的には住みやすく好みだ。
国府台から江戸川
駅もコンパクトで落ち着いている。
駅からすぐの歩道橋を進めば江戸川の土手に出られる。
江戸川の土手は人気があり、サイクリングや散歩などで賑わっていた。
真間川スタート地点
江戸川を進むと、水門が見えてくる。
真間川のスタート地点だ。
水門名を知ろうと全体を見渡すが記載はなし。。
水門から真間川方面を見た景色
江戸川土手からは、真間川を見下ろす事ができる。
ここからのんびりと下ってみる。
根本橋
スタートして2番目の橋からの景色。
真間川の印象は”汚い”の一言だろう。
緑色で川底が見えなく臭いもある。
川沿いといえば、タバコやゴミ被害であるが、
真間川では一貫して過料2000円の注意喚起がされていた◎
今までの被害が想像できる。
弘法寺 真間4丁目付近
入江橋を左に曲がると弘法寺があるが、
そこに向かう年配者が非常に多かった。
弘法寺に辿り着くには長い階段があり、
もしかしたら日陰もあり、散歩に最適なコースなのかもしれない。
つぎはし
弘法寺に向かう途中には名所らしき”つぎはし”が目立っていた。
「真間の継橋」の名は万葉集に登場する場所で
残された一部が綺麗に残されていた。
その昔、市川市北部の台地と、その南に形成された市川砂洲と間には、
現在の江戸川へ流れ込む真間川の河口付近から、東に向って奥深い入江がてきていた。
この入江を「真間の入江」どよび、弥生時代から集落があったとされている。
国府台に下総国府の置かれたころ、上総の国府どをつなく官道は市川砂洲上を通っていた。
砂洲から国府台の台地に登る間の、入江の口には幾つかの洲がてきていて、
その洲から洲に掛け渡された橋が、万葉集に詠われた「真間の継橋」なのである。
この継橋は
足の音せず行かむ駒もが葛飾の
真間の継橋やまず通わむ
(足音せずに行く駒がほしい、葛飾の真間の継橋を
いつも手児奈のもとに通いたいものだ)の歌で有名となり、
読み人知らずの歌ではあるが、当時の都びとにまで知れわたっていたのである。
手児奈橋(てこなばし)
手児奈橋ではレアな護岸補修工事中であった。
東京外環自動車道
東京外環自動車道に差し掛かると、
いかにも最近整備された綺麗な道路が見えてくる。
自転車が不可欠な場所では、このように
歩行者と自転車の道がハッキリと分かれているのは素晴らしい。
国分川
東京外環自動車道を越えると、国分川が合流する。
真間川の前半は歩道が整備されており非常に歩きやすい印象であった。
(後半は工場などで河口まで向かうのが困難)
派川大柏川
三角橋では、派川大柏川が合流する。
この付近には、なぜか歩道にビー玉が埋め込まれていた。。。。
何故ビー玉なのか?
気になったが・・調べるのを諦めた♪
大柏川合流
浅間橋下のでは大柏川が合流する。
橋の真下で見えないと思われたが、
なんとか橋を過ぎた場所から覗く事ができた。
(右から大柏川、奥が真間川で合流。手前が河口)
この辺りから、わざとなのか?
看板が反対になって貼り付けられている箇所が多かった。
目立たせようとしているのか?冗談なのか?はわからない。
京成線 鬼越駅
京成線鬼越駅を通ってみると、
改札を通った後に、線路を横切るという不思議な作りであった。
境橋に銅像
境橋付近には「回想」(大須賀力作)
という作品が飾られていた。
設置された場所の向かいには市川市消防局があり、
”人々の命の安全と安らぎへの祈りを込めて”(平成4年)の意味がある。
ニッケコルトンプラザ横を通過
総武線の下を通る際には、曲がった真間川が素敵だ。
命綱無しは凄い。。。
前半から中盤にかけては、舗装された川沿いを歩く事が出来るが、
河口近くになると、工場やコーナン等があり”迂回”を余儀なくされる。
真夏にこれはキツイ。
この日は、蒸し暑い天気であった為、子供はギブアップ。
コーナンで休憩した後は、二俣新町駅から帰宅した。
結果:挫折!