【玉川上水】沿いを歩いてみた 前編(玉川兄弟が見たい)

川マニアの子供に付き合う拷問散歩シリーズ

羽村市から新宿御苑まで43キロ続く玉川上水。
江戸時代(1654年完成)に水不足を解消するため作られたものだ。


(新宿御苑前の玉川上水終点付近)
※現在は下水道処理した水が流れているため、多摩川から分岐した水は届いていない。

幕府から開削を任命された玉川兄弟は
費用として6000両を与えられたが、途中資金が底をつき、
最終的には自宅を売って完成させるというロマン溢れる逸話がある。

江戸初期の一両の価値は、
現代の円に換算すると、一両約10万円

幕府から与えられた資金は約6億円で、
江戸市の生活がかかった大掛かりな計画だった事が推測が出来る。

玉川上水の源流からスタート

玉川上水は、同じ名前の多摩川からの分岐で生まれる人工河川。

多摩川から、細く横に逸れているのが玉川上水で、現在の新宿まで続いている。

青梅線羽村駅から

今回は玉川上水のスタート地点から
歩いて下ってみようと思う。

玉川上水源流周辺は見どころがいっぱいだ。

玉川上水へ向かう途中には、
珍しい馬の水飲み場がある。

この場所はその昔、
現在よりも道幅が狭く急坂であったため
馬を使い荷車を引いていた。

偶然にも豊かな湧き水があったため、
馬をいたわるために水飲み場を設置したそうだ。

多摩川に到着

多摩川に到着するが、
いきなり玉川上水を見るのはまだ早い。

その前に、玉川上水羽村陣屋という
今で言う水道局を見なければならない。

玉川上水羽村陣屋の現在は、
玉川上水羽村陣屋として門だけが残っていた。

そして、玉川上水羽村陣屋部分は
羽村取水管理事務所に生まれ変わっていた。

いざ分岐点へ!


↑理解しやすいように、名を入れてみた。

多摩川を一度、羽村取水堰で分岐させ
そのまま下った水は多摩川へ
右側に曲がった水は玉川上水になる。

とにかく水が綺麗で冷たいのが印象的だった。
(玉川上水になった水を触る場所は無かったが、
多摩川側に歩けば、いくらでも触る場所があった)

玉川兄弟に会えた!

羽村取水堰付近は、観光名所のようで
多くの見学客が訪れていた。

広場には、先人の知恵である
川の勢いを弱める牛枠(川倉水抑)というものが展示されていた。
これにより堤防が崩れるのを防いだそうだ。
コンクリートが無い時代には貴重な物だった事だろう。

感動!玉川兄弟像

玉川兄弟に会う事が出来た。
世の為に人生をかけた玉川兄弟!
かっこいい!

実は、その昔は今で言う”名字”というものは当たり前ではなく、
位の高い人間しか名乗る事が出来なかった。

元々、玉川兄弟の名は
・庄右衛門(しょうえもん)
・清右衛門(せいえもん)
という名前のみであったが、
幕府がその功績を認め、玉川という名を与えられた。

高低差92mしかない

玉川上水は終点まで43キロであるが、
何とその間の高低差は92mしかない。

当時は当然ポンプなど存在しない事から
100mあたり21cmしか傾斜を作る事ができない事になる。

92mという高低差をどのように計測したのか?謎は深い。

スタート地点が見どころ満点であったが、
次回は三鷹まで歩いてみることにする。

つづく。

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