「それダメだろ」が通じない。ルール違反を自慢する父に限界を感じた話

【実体験】ルール違反を自慢する父。「それダメだろ」が通じない話

正直、何度も思ってきました。

「それ、普通にダメなやつだろ」

でも本人は、なぜか誇らしげです。
むしろ“うまくやった話”として、自慢げに語ってきます。

しかも一度や二度ではありません。
何十回も、同じ話を、同じテンションで繰り返してきます。

最初は「うちの父だけなのか?」と思っていました。
でもこういう違和感って、同じように感じている人が意外といるのではないかと思うようになりました。

今回は、そんな「ルール違反をなぜか自慢してくる父」の話を、体験談としてそのまま書いていきます。

日付を隠して入場した話を、なぜか武勇伝みたいに語る

2日開催のバイクレースがあったときのことです。

父は2日目のチケットしか持っていなかったのに、なぜか1日目に入ったらしく、あとでこんなふうに言ってきました。

「日付を指で隠して入場したんだよ!」

しかも、かなり誇らしげでした。

こちらとしては、真っ先に
「いや、それ普通にアウトだろ」
と思います。

でも本人の中では、悪いことをした感覚よりも、“うまくやった”“バレずに通れた”“俺は頭が回る”みたいな感覚のほうが強いように見えます。

そしてこの話、もちろん一回では終わりません。
時間が経つとまた同じ話を持ち出してきて、毎回ほぼ同じ言い回しで話します。

職員用の駐車場に入った話も、なぜか得意げに話す

商業施設の駐車場が満車だったときの話も、何度も聞かされました。

父は職員専用の駐車場に入ろうとして止められたらしいのですが、そのときにこう言ったそうです。

「現場に来ている田中さんのお使いで来たんです」

そして、そのまま入れたことを得意げに語るのです。

こちらからすると、まず思うのは
「誰だよ田中さん」
です。

しかもありがちな名前をその場で出して通したことを、機転が利いた話、うまく切り抜けた話、ちょっと面白い話として扱っているのがまたきついのです。

普通なら、こういう話は少し後ろめたさがあるか、せいぜい「昔こんなことしちゃった」と苦笑いで終わる話だと思います。

でも父の場合は違います。
完全に“自分はうまくやった側”のテンションで話してきます。

1人1パックの卵を何度も並び直して買った話まで自慢する

スーパーの卵の特売で「1人1パックまで」と書かれていたときの話もありました。

父はそのとき、こう言いました。

「何度も並び直して5パック買ったんだよ!」

これもまた、自慢げです。

こちらとしては、当然ながら
「いや、それもダメだろ」
としか思えません。

でも父は、たくさん手に入れたこと自体を“勝ち”のように感じているようでした。

しかも怖いのは、本人が本気で気づいていないことです。

店員が気づいていないと思っているのか、注意されていないからセーフと思っているのか、そこは分かりません。
ただ、少なくとも本人の中では“ルール違反をした”ではなく“うまくやった”になっている感じがあります。

こういう話を、一度や二度ではなく何十回も聞かされる

この手の話で一番しんどいのは、内容そのものだけではありません。

同じ話を何度も何度も繰り返してくることです。

こちらはもう50回以上聞いている話なのに、本人は新鮮そうに話し始めます。

「前にさぁ」
「そういえば昔さぁ」
「これ面白いんだけどさぁ」

いや、もう知ってる。
そのオチも、その言い回しも、ドヤ顔まで全部知ってる。

でも本人は、こちらが何度も聞いていることを気にしていないのか、覚えていないのか、とにかくまた最初から話し始めます。

この繰り返しが地味にきついのです。

何がしんどいのかというと、「ズレ」に付き合わされること

ただルール違反の話をされるだけなら、まだ一回で終われば流せるかもしれません。

でもしんどいのは、そこに“ズレ”があることです。

こちらはずっと、
「それは恥ずかしい話では?」
「わざわざ自慢する内容ではなくない?」
と思っています。

でも本人は、
「頭を使った」
「上手く切り抜けた」
「要領がいい」
そんな感覚で話しているように見えます。

つまり、同じ出来事を見ているのに、評価がまるで違うのです。

この感覚のズレが、積み重なるとかなりしんどいです。

「それダメじゃん」と言っても、たぶん響いていない

こちらとしては、あまりにもズレているので、つい
「いや、それダメじゃん」
と言いたくなります。

でも、こういうときに限って相手には響いていない感じがあります。

むしろ、こちらが細かいことを言っているような空気になったり、話の面白さを分かっていないような扱いになったりします。

だから余計にモヤモヤが残ります。

こちらはルールの話をしているのに、向こうは“うまくやった話”をしている。
この噛み合わなさが本当に疲れます。

こういう違和感、家の中で積み重なるとかなり削られる

たぶんこういう話って、一つひとつだけを見ると小さいのかもしれません。

でも実際には、これが一回や二回では終わらず、何年も、何十回も、家の中で繰り返されます。

しかも話の内容は毎回だいたい同じです。

ルール違反そのものにも引っかかるし、
それを自慢する感覚にも引っかかるし、
それを何度も聞かされることにも引っかかる。

この三重苦みたいな状態が、地味にどんどん積み重なっていきます。

「うちだけなのか?」と思っていた

こういうことが続くと、最初は本当に思います。

「これ、うちだけなのか?」

世の中の親って、こんなふうにルール違反を武勇伝みたいに話すものなのか。
しかも同じ話を何十回も繰り返すものなのか。

でも、こういう違和感を抱えている人は意外と少なくないのではないかと思っています。

なぜなら、この手のしんどさは表に出にくいからです。

暴力とか、分かりやすい大事件ではない。
でも毎日の中でじわじわ削ってくる。
そして他人には説明しにくい。

だからこそ、同じような体験をしている人がいたら、「ああ、うちだけじゃなかったんだ」と思えるだけでも少し違うのではないかと思います。

悪いことそのものより、「それを誇らしげに語ること」がきつい

今になって思うのは、こちらが本当に嫌だったのは、ルール違反の事実だけではないということです。

それを誇らしげに語ること。
しかも自分では少しも変だと思っていないこと。

ここが特にきつかったのだと思います。

普通なら少しは引っかかるところを、まったく引っかからずに話す。
しかも、こちらに「すごいだろ」とでも言いたげな空気で話す。

このズレに何度もさらされると、聞く側はどんどん疲れていきます。

同じようなことでモヤモヤしている人へ

もしこの記事を読んで、
「うちもある」
「まさにこれ」
「ダメなことをなぜか自慢してくる」
と思った人がいたら、その違和感は変ではないと思います。

こちらが神経質すぎるわけでも、気にしすぎなわけでもなく、普通に“ズレていてしんどい”と感じる話だと思います。

しかもそれが一度ではなく、何度も繰り返されるなら、余計にきつくて当然です。

私自身ずっと、
「なんでそんなことを自慢げに話せるんだろう」
「なぜそれを何度も繰り返すんだろう」
と感じてきました。

でも、同じように感じている人がいるなら、それだけでも少し救われます。

まとめ

ルール違反をしたこと自体も引っかかる。
それをなぜか誇らしげに語ることも引っかかる。
さらに同じ話を何十回も聞かされることもしんどい。

こういう違和感って、毎日の中に埋もれやすいけれど、受ける側にとってはかなり大きいです。

だからもし、「それダメだろ」と思うような話を、なぜか武勇伝みたいに何度も聞かされて疲れている人がいたら、少なくとも私は「分かる」と言いたいです。

あれは地味にきついです。
しかも一回では終わらないから、なおさらです。